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- 2021.06.29 Tuesday
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8月28日、MY LIFE IS MY MESSAGE for九州
/ POWER TO THE PEOPLEを観に行った。
場所は東京キネマ倶楽部。
ガイガー柚原氏は
前の週の熊本公演に引き続いて
東京公演も27日から参加し、
「そうま・かえる新聞」の最新号の配布を行っていた。
なので、この日はボクが新聞を配る番だ。
そうま・かえる新聞に携わってから4年、
ボクはいつもほかのメンバーに任せっきりで
こうやって福島県外のライブ会場に足を運び
新聞を手渡したことがほとんどなかった。
チケットのモギリの隣に立ち、
「そうま・かえる新聞でーす」と言って
一人ひとりに渡すと
「応援しています!」
「がんばってください!」という温かい言葉が。
中には、相馬に何度も足を運んでいる人もいて
「タカノさん久しぶりー」という声も。
地方で作られた、たった1枚の印刷物、
でもみんなの顔を見ながら
1対1で直接手渡すことの大事さを実感した。
ライブが始まると
冒頭にギターを持たない山口さんが出てきて、
ライブの趣旨について説明をした。
これまでの福島のこと、今の熊本のこと、
そこに風を送りたいということ、
出演するミュージシャンのこと…。
ギターのように流暢ではなかったけど(失礼!)
一生懸命伝えようとするその姿に
会場から割れんばかりの拍手が送られた。
演奏が始まると山口さんのステージ、
ヤイコさんのステージ、
TOSHI-LOWさんのステージ、
CHABOさんのステージ、と進んだ。
曲によってソロだったり、デュエットだったり。
客席から見ていて
それぞれの紹介の仕方、イジり方(?)に
みんなお互いのミュージシャンを
リスペクトしていることがわかった。
それだけではなく、
カバー曲が多い中、過去に対する曲、
つまり先人のミュージシャンに対しても
最大限の敬意を払っていることも見て取れた。
ステージには愛があふれていた。
会場全体がいいヴァイブレーションに満たされていた。
本編最後の曲、
CHABOさんと山口さんのR&R Tonightでは、
静かに始まってどんどん演奏が
グルーヴしていく感じが圧巻だった。
グレッチの音もサイコーだったし
この中の歌詞、
「今夜すごくいい気分さ
だってR&Rがこんなに溢れてる
預かってゆく僕等の重たい未来を未来を
引き受けられそうなそんな気がしてくる」を
客席にいるボクらも体現しているようだった。
アンコールは4人揃って登場。
全部で4曲、ラストは「満月の夕」。
5月のポレポレ方式ライブ全国大会のときも
いろんな満月が見えたけど
この日もそれぞれの満月が見えた。
ただ、自分たちの演奏した満月より
ずっと上品だったけど(笑)。
でもこの曲は上品とか下品とか
上手いとか下手とか、そういう問題ではなく
いかにソウルを込められるかが重要なんだ
ということがわかった。
いろんな人もカバーしているけど
歌詞が違ってもメロディが違っても
成立してしまう不思議な曲。
もしかしたら、民謡がそうなのかもしれない。
みんな知っているんだけど正解がない曲。
改めて「満月の夕」という曲の底力を感じた。
終了後はスタンディングオベイションで
拍手がずっと鳴りやまなかった。
この日、ガイガー柚原氏が
トランク1個分、そうま・かえる新聞の
バックナンバーも持ってきていた。
ボクは、物販のところに立ち
希望者にバック・ナンバーを配布した。
今回、場所は東京だったけど
出演したミュージシャンの意思、
お客さんの熱量、陰で支えたスタッフの真剣さ、
これらすべては、
今までの福島がそうだったように
形となって熊本へ伝播していくと思う。
タカノ
東京キネマ倶楽部に初上陸!
用意した「そうま・かえる新聞」最新号、250部。
南相馬市の柚原です。
先週のことですが、タカノさんに書いて頂きましたが8/20から8/22まで
MY LIFE IS MY MESSAGE.for九州/POWER TO THE PEOPLEのため、
熊本にいってきました。
たまたまですが、昨年の5月、仕事で熊本に行き、
八代市、熊本市、南阿蘇村、大分県日田市と滞在したこともあり、
震災の報道で「去年行ったあの場所」というのが認識できる場所もありました。
熊本の地震の後、5月にポレポレ方式復興応援ライブ全国大会を開催し、
その時に急遽、熊本の応援のためライブにするということを決めたことは
以前にも書きましたが、その時に、熊本のために募金を集めさせて頂きました。
しかし預かってわかるのですが、募金の使い方というのは本当に難しいです。
それは、僕自身が東日本大震災で被災した身であるからこそ感じるものもあります。
お金そのものは、必要だと分かっていても、
それが必要なところに十分に届けることができるのか、
というのは、ずっと残ると思います、
そして、東日本大震災の時には
全国で「何かをしたいけど、何をしていいか分からない」
という方が沢山いるということを聞きました。
募金をし、それだけでなく何かする必要があるのではないか、
けど、遠くの地ではたして何ができるのか、
今でもずっと考えています。
地震の直後、お金が必要だろうということで募金もさせて頂きました。
そして地震から4ヶ月が過ぎ、
現地をみて、現地の方の話を聞き、
まだまだ復旧が進んでいないことを感じますし、
色々な場所でお金が必要だということも感じます。
東日本大震災の時、マイライフでも、仮設住宅にいるお年寄りのため、
線量が高い地区の子どもたちのため、など
どこを応援すればいいのか、その都度考え、悩みながら
色々な活動をしてきました。
その時の経験があったからこそ、
今回の熊本については、
「音楽で出来ることは何か」、を考え、実行にうつせたのだと思います。
東日本大震災の時も、沢山の方が応援に駆けつけてくださいましたが、
被災した人たちは当然、音楽好きな方だけでなく、
スポーツが好きな方や、
ただ話をするのが好きな方や、
何の趣味もない方や、
色々な趣味趣向の方がいて、
誰々が来てくれたの嬉しかったとか、
何々してもらったのが嬉しかったとか、
被災者の受け止め方も千差万別。
余談ですが、僕は残念ながら現場に居合わせなかったのですが、
ある避難所で、プロレスラーの長州力さんと大仁田厚さんが
一緒になったという話を聞き、元プロレスファンの僕としては
そのありえない現場を見られなかった事を凄く残念に思ったこともあります。
話を戻しますが、
今回のMY LIFE IS MY MESSAGE.for九州/POWER TO THE PEOPLEも
5月のフリーライブを経て、開催を決定したものです。
コンサートの開催にお金を使うなら、
そのお金を直接困っている方に渡した方がいいのでは?と
思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、被災した方全員に何かできるかといえば、
それは凄く難しいことだということを、東日本大震災で経験しています。
この日ライブに来た方お一人お一人に状況を全て把握することはできませんが、
入場料を払って、ライブを観て、おいしい食事をし、
その時間だけでも震災の事を忘れたいという方もいらっしゃったと思います。
そういうふうに感じて頂ければ、
それは意味のない事であると信じています。
ミュージシャンでもなんでもない、
単なる音楽好きの僕が言うのもなんですが、
東日本大震災の時に、多くのミュージシャンの方が
「音楽で何ができる」と自問自答し、活動を控えてしまいました。
けど、音楽ジャンキーの僕からすれば、
じゃあ、僕は何を信じたらいいんだと。
僕が今まで信じていたのはなんだったの?と。
原子力発電所の事故から数日後、屋内退避が続くなか、
事故を起こした原子力発電所から25kmの地点で仕事を続け、
情報を集めるためにずっとラジオだけ聞いていたのが嫌になり、
ぐちゃぐちゃになった部屋の中からRCサクセションのCOVERSを救出し、
ずっと通勤の車の中では「サマータイム・ブルース」が鳴っていました。
だから、今回音楽を生業にしている方々が、
音楽で何ができるかを考え、活動している姿をみて、
嬉しく思いました(勿論、災害などない方がいいです)。
音楽好きだけど、音楽で応援をできない僕は、
全国でこんなに熊本の事を応援している人がいるという事を伝えたくて、
今回、そうまかえる新聞を持ち、熊本にお邪魔しました。
最新号はポレポレ方式復興応援ライブの模様、
その時に参加した方から熊本へのエールが書かれています。
初めて新聞を手にとる方のために、バックナンバーも用意しています。
全号ではありませんが、バックナンバーを読んで頂ければ、
東日本大震災の時、熊本県の大津北中学校の活動や、
その活動を知り、行動を起こした山形県の鮭川中学校の文化祭の様子、
ポレポレ方式復興応援ライブがどんな経過をたどり、
熊本を応援することになったのか、なども分かっていただけると思います。
長くなりましたが、被災した自分を励ましてくれた詩を紹介させて頂きます。
山形県の鮭川中学校の文化祭の時に披露されたもので、
鮭川中学校の生徒さんみんなから言葉を集め、つくられたものです。
この詩を、今度は熊本の皆さんが少しでも希望を持てるよう
送りたいと思います。
※明日27日、明後日28日の東京キネマ倶楽部でのマイライフ公演でも、
そうまかえる新聞の最新号及び、数量限定ですが、
この詩が掲載されているバックナンバーも持っていきますので
是非、お声掛けください。
一瞬の未来 作:阿部航大
あなたには故郷がありますか
僕達の故郷は今ここにある
僕達は今ここに生きている
しかし同じ空の下に
あのときのまま止まった場所がある
その中で
澄んだ空は
穏やかな風は
やさしい雨は
人に見えない牙をむく
その牙は僕達人間が作ったものであり
今もその牙におびえ続けている
一瞬で故郷を 愛する人を 夢を 未来を
失った人がいる
見つかるはずのないものを
取り戻せない過去を
探し続ける
常に見つかるものは
忘れられない思い出と
悲しみと
悲しみ
しかし僕は考える
どんなに大きな困難でも
人は今まで
強い心と考える脳がある限り
何度でも立ち上がり
夢を 希望を捨てなかった
だから今の僕達がある
過去の人にできたなら僕達にもできるはず
どんなに枯れた花も
どんなにしおれた花も
未来に生きる種を残し
種に愛を 希望を託す
僕達人間も
どんなに辛くても
どんなに苦しくても
未来に生きる子供を残し
子供に愛を 希望を託す
しかしそれを安全に咲かせるには
安全な未来が必要だ
未来は未来の人が作るのではない
未来は僕達の手で作るのだ
どんなに悩んでも
そんなに絶望しても
必ずまた朝は来る
明けない夜はない
今はかすかな光しか見えないかもしれない
しかし一歩一歩歩んでいる今
その先に明るい未来が必ず待っている
終わりを作らない
限界を決めない
ほんの小さなことからでも
少しずつ少しずつ
積み上げている今
その先に誰も見たことのない未来が
必ず待っている
生きていれば明けない夜はない
東日本大震災前から時々手伝っているバンドがある。
メンバーはみんな自分より20歳ほど上で
いわゆるエレキ・ブームのころから
ずっとバンドを続けている人たちなので演奏はプロ並み。
そこのギタリストの1人が仕事の都合などで欠けるときがあるので
そういうときにボクがサイドギターとして呼ばれる。
以前、そこのギタリストとライブの打上げでこんな会話をした。
「タカノくん、いつも申し訳ないねえ。ところで
真空管式のギターアンプって持っている?」
「いやあ、持ってないですー。ウチにあるのはトランジスタ式」
「グヤトーンのアンプなんだけどさ、
使ってないのがあるんだ。興味ない?」
「ムチャクチャ興味あります。何年製のアンプですか?」
「1965年製。フルチューブでコンディションは
バッチリだよ」
「おー、じゃあもしかしてワン・ボリューム?」
「そうそう」
「アンプで歪ませることを考えれば
ツー・ボリュームがいいんだけどなー」
「じゃあ、ボリューム1個追加しておくよ。
いつも手伝ってもらっているお礼にプレゼントするから」
確かこのとき、二人ともかなり酔っていたので
さほど期待していなかった。
そしたら最近このギタリストから
「アンプの用意ができたからウチにおいで」と電話があった。
早速行ってみると
1965年製とは思えないピカピカの状態の
アンプが置いてあった。
そして次のような説明があった。
「これ、真空管は全部交換しておいたから。
やっぱり日本製のアンプには日本製の真空管が合うと思って
松下(ナショナル)製のデッドストックを探して付けておいたよ。
あとスピーカー、ちょっとヘタっていたので
80年代製のグヤトーンのアンプから移植しといたから。
だからねえ、当時の音とはもしかしたら違うかも」
早速ギターをプラグインして試奏してみた。
直感的に「60年代のブリティッシュ・ロックの音だ!」
と思った。
Beatles、Rolling Stones、Kinks、Who…。
彼らのレコーディングスタジオで鳴っていた音は
おそらくこういう感じだったのではないか、
そう思わせる音。
ボクは無意識のうちに
「あ、この音、この音」と思いながら
「I Saw Her Standing There」を弾いていた(笑)。
実に気持ちがいい。
例えばRolandの銘器といわれているアンプ、
JazzChorusのクリーン・トーンなんかは
ボクはちょっと耳障りな感じがして好きじゃない。
このグヤトーン、素直なんだけど耳障りな感じは
まったくなく、ずっと弾き続けていたい感じ。
しかも、年代物にしてはガリはまったくなく
この個体と比べれば
自分が愛用している90年代のトランジスタアンプ、
Fender SideKickの方がよっぽど調子が悪い(笑)。
これをくれたギタリストは
「永久保証にしておくから、調子が悪くなったら
いつでも持ってきな」とも言ってくれた。
しかし、自分より年上の電化製品(?)が
ちゃんと動いているというのは実に感動的。
思いのほか寿命が短く年数が経てば
修理不能となってしまう今の電化製品のことを考えれば、
経済成長って何だろうと考えてしまう。
タカノ
もう日本では作られていない日本製で未使用の真空管!美しい。
比較的最近の、といっても80年代のスピーカー。
ボクのためにわざわざ追加してもらった見た目違和感のあるボリューム(笑)
東日本大震災があって5年、いろんなことがあった。
もちろん、決して過去形ではなく特に原発事故は現在進行形なんだけど、
「生きる」ということを真剣に考えた。
それは身近な人が津波で亡くなったり
自分自身もあのとき「死」がすぐそばにあったりしたためだと思う。
人はー人で生まれ、一人で死んでいく。
それじゃあ、人の幸せって何?
この5年間、そんなことを頭の中でループさせる時間が多かった。
例えば「自由」「仲間」「家族」「健康」「財産」「おカネ」、
どれも当たりのような、どれもちょっと違うような。
でも
プロジェクトMY LIFE IS MY MESSAGE.に関わって
明確に一つわかったことがある。
人の幸せには「愛」が必要だということ。
「愛」は与えるものであり、
与えられることを決して期待しちゃいけないということ。
「愛」を与え続けていれば
その「愛」が連鎖して
自分の周りが知らないうちに「愛」に満たされるということ。
時間の経過とともに、
与えた「愛」に対して裏切りや別れもあるけど
それでメゲちゃダメなんだ。
大事なのは「愛」を与え続けること。
ボクらはこの5年間、
プロジェクトMY LIFE IS MY MESSAGE.から
時には暑苦しいまでの
純度100%の「愛」を受け取ってきた。
おかげであのときズタズタになっていた
ボクの心はいつの間にか癒えていた。
もちろん、受け取った「愛」の中には
熊本からの「愛」もあった。
明日は熊本で
「MY LIFE IS MY MESSAGE for九州 /
POWER TO THE PEOPLE 熊本編」が開催される。
ボクは行けないけど、
ガイガー柚原氏が当日、相馬で結実した「愛」と
「そうま・かえる新聞」を携えて会場入りする。
ボクは明日、南相馬から
熊本の仲間たちの「心の復興」を願って思いを馳せよう。
タカノ